导图社区 上代文学
本书按照时间顺序,对日本文学从上古、中古、中世、近世到近代这几个世纪以来的文学、诗歌、戏剧发展进行了简明的介绍。
编辑于2022-08-05 12:21:04 云南上代文学 ( 〜794年)
皇室中心の時代 口承文学から記載文学へ 「まこと」の理念
まこと:人間の心を自然のままに写し出す素朴な美。 賀茂真淵は上代文学の精神をまとめた語。
口承文学
日本文学の誕生
文字によらず、歌いつぎ語りつがれてきた文芸。昔話・語り物・民謡・伝説など。口承文学。伝承文学。
そんらく かたりべ けいしょう 経験豊かな 村落 の老人や氏族の 語部 などにより記憶され 継承 された。
口承文学から記載文学へ
神話
古くから人々の間に語り継がれている、神を中心とした物語。
伝説
共同体の英雄祖先の活躍などを物語にしたもの。
説話
民間に語り伝えられた物語·神話·伝説·童話などの総称。
記載文学
史書
こじき 古事記(712年)
ひえだのあれ おおのやすまろ 稗田阿礼 が頌習し、 太安麻呂 が編纂された。
てんむてんのう げんめいてんのう ( 天武天皇 が死んだあと) 元明天皇
しょもつ 日本最古の叙事文学/日本最古の 書物
国内向け(天皇支配の正当性を示す)
きでんたい 紀伝体
3巻(天地の創造から第三代の推古天皇まで)
変則漢文体
にほんしょき 日本書紀 (720年)
とねりしんのう 舎人親王
げんしょうてんのう 元正天皇
りっこくし 六国史 の最初の作
国外向け(対外的に国威を示す)
へんねんたい 編年体
30巻(神代紀から持統天皇まで)
純粋な漢文体
たかはしうじぶみ 高橋氏文
歴史書。789年成立。宮内省内膳司(うちのかしわでのつかさ)の職にあった高橋氏が,同職の阿曇(あずみ)氏との席次争いに際し,自氏の正統性を弁ずるために奏上した文書。高橋氏の優位を認めた792年の太政官符をも含む。完本は伝わらず,逸文が諸書に引用されている。
氏族の私的な歴史書
こごしゅうい 古語拾遺
平安時代の史書
地誌
ふどき 風土記(713年)
元明天皇
漢文体
諸国が編集して提出した地誌
いずも はりま ひたち ぶんご ひぜん 出雲 、播磨 、常陸 、豊後 、肥前 の五ヶ国 (現在大部分が散逸し、現存する唯一の完文である「出雲風土記」)
にほんりょういき 日本霊異記
にほんりょういき【日本霊異記】 平安前期の日本最古の仏教説話集。3巻。景戒(けいかい・きょうかい)著。弘仁14年(823)ごろ成立。異聞・因果談・発心談など116の説話を、日本風の漢文で記したもの。日本国現報善悪霊異記。霊異記。にほんれいいき。
日本最古の仏教説話集
やくしじ きょうかい 薬師寺 の僧侶 景戒
のりと・せんみょう 祝詞 ・ 宣命
祝詞:神々を恐れ敬う気持ちを表し、祈願するもの
えんぎしき 延喜式
平安時代の法令集。 50巻。三代式の一つ。延喜5 (905) 年,左大臣藤原忠平らが醍醐天皇の命令により編集。延長5 (927) 年完成。『弘仁式』『貞観式』をはじめ,古代政府の根本法令を補う形でその後発布された施行細則を集大成したもの。実際に頒布されたのは,40年後の康保4 (967) 年。これらは当時の法令の編集が,行政上の必要からなされるよりも,その時代の文化的事業として編集され,一つの記念事業としての意味が強かったからであろうと思われる。内容は律令制社会の全般に及んでいる。たとえば巻9, 10の神名式は,一名『延喜神名帳』ともいわれ,全国の神社が国郡ごとに連記されているので,当時の地方行政区画を知ることもできる。また,巻 23の民部式ほかからは当時の各国の特産物を,巻 26の主税式からは諸国の国力を相対的に知ることができる。巻 37の典薬式には,諸国に産出する薬草が詳記されていて便利である。『延喜式』は,写本として平安時代のものが現存していて,物名,神名などにかたかなの和訓がつけられており,古代国語史料としても欠かすことはできない。『弘仁式』『貞観式』はごく一部分しか残っていないが,『延喜式』は全巻が散逸することなく伝わっているため,古代政治を把握するうえで貴重な史料となっている。『国史大系』所収。 (→延喜格 , 弘仁格式 , 貞観格式 )
たいき 台記
院政期の左大臣藤原頼長の日記。一二巻。漢文体。1136年から55年の間の記事が断続的に残存する。保元の乱の研究および宮中の儀式を知るうえで重要な史料。宇槐記。槐記。宇治左府記。宇左記。
天皇から臣下への詔。(漢文体は詔勅という)
しょくにほんき 続日本紀
しょくにほんぎ【続日本紀】 平安初期の勅撰の史書。六国史の第二。四〇巻。修正・再編などの編纂過程を経て藤原継縄・菅野真道・秋篠安人らにより797年撰進。文武天皇から桓武天皇まで、すなわち697~791年の95年間を編年体で記す。続紀。
詩歌
ききかよう 記紀歌謡
190首
しゅりょう 内容: 狩猟 、祭り、恋愛、酒宴
ついく まくらことば じょことば 表現技法: 対句 、同音の繰り返し、 枕詞 、 序詞
かたうた せどうか 歌体: 方歌 、旋頭歌 、短歌、長歌
まんようしゅう 万葉集
現存最も古い和歌集
おおとものやかもち (何人もの手を経てまとめられて来たが、最終は) 大伴家持 が編纂された。
8世紀後半(759年から790年頃にかけてと見られる)
20巻4500首
ぶだて 部立
ぶだて【部立て】 全体をいくつかの部類・部門に分けること。分類。特に、詩歌集などで四季・恋・雑などの部を分けること。
そうもんか 相聞歌
互いに思いを伝達する歌
ばんか 挽歌
ししゃ いた 死者 を 悼 む歌
ぞうか 雑歌
そのほか
歌風 ますらをぶり 丈夫振り
第一期 開花期
舒明天皇から壬申の乱までの約40年間
口承的な古代歌謡の面影が残しながら個性的な歌が生まれ、平明素朴な歌が多い。
じょめいてんのう ありまのみこ ぬかたのおおきみ 舒明天皇 、 有間皇子 、 額田王
第二期 黄金期
天武・持統・文武の三代にわたる藤原時代から平安遷都までの約40年間
律令国家の整備が進み、皇室の繁栄がもたらされた時期で、歌の 思想内容や表現技術が複雑になり、長歌が大いに発達した。
持統天皇、志貴皇子、大津皇子
かきのもとのひとまろ 柿本人麻呂
歌聖
長歌では古代歌謡に見られた枕詞、序詞、対句、反復、漸層法などの技法を縦横に駆使し、豊かな構成力で、荘重、雄大な調べを持つ宮廷賛歌や、沈痛にして悲哀に満ちた挽歌を作った。
たかちのくろびと 高市黒人
叙景歌に優れ、鮮明で透徹した自然観照の歌風をひらいた。
第三期 隆盛期
平安遷都から天平五年(733年)ごろまでの約20年間
古事記、日本書紀が完成し、風土記が計画された時代で、万葉集の全盛期にあたる。
個の意識に目覚めた人が多く出て、個性豊かな作品を生み出した。
やまべのあかひと 山部赤人
清澄な自然観による優れた叙景かを作る。
やまのうえのおくら 山上憶良
儒教的論理に基づく批評精神によって社会の矛盾や人生の悲哀を歌う。
たかはしのむしまろ 高橋虫麻呂
地方にわたる伝説を素材とした叙事的長歌に優れる。
第四期 衰退期
天平六年から天平宝字(759年)までの20年間
天平文化は爛熟期を迎え、東大寺の造営や大仏開眼があり、華やかな時代であったが裏面では貴族間の政争や反乱などで社会不安が深刻化した。
歌は力強さを失って理知的、感傷的となり、繊細優美な情趣を尊ぶようになった。
おおとものやかもち 大伴家持
あずまうた 東歌
万葉集巻十四に見える、東国の庶民生活から生まれた民謡的な歌。
さきもりのうた 防人歌
万葉集巻二十に所収、東国から九州防備のため派遣された兵士やその家族の歌。
かいふうそう 懐風藻
現存する最古の漢詩集
751年(天平勝宝)
おうみのみふね 淡海三船 (はっきりしない)
おうみのみふね【淡海三船】 (722〜785)奈良時代の漢学者。大友皇子の曽孫。僧名元開、還俗して淡海真人の姓を与えられる。刑部卿・大学頭・文章博士などを歴任。著「唐大和上東征伝」など。
天皇、皇子、官僚、僧など64人の作者の120首の漢詩が収録されている。大部分は五言詩。
中国六朝時代の詩の影響がある。
ぶっそくせきか 仏足石歌
薬師寺の仏足跡歌碑に刻まれた21首歌及びそれと同じ歌体の歌。
きんかふ 琴歌譜
琴の伴奏による歌の楽譜。
かきょうひょうしき 歌経標式
772年
ふじわらのはまなり 藤原浜成
日本最初の歌論書
和歌への批判意識を理論化しようとしていた
籠もよ み籠持ち 掘串もよ この岳に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座せ ーー『万葉集』 雄略天皇(考古学で実際で確認された最初の天皇) 巻頭を飾る 訳:籠よ、立派な籠を持ち、掘串(ふくし)よ、立派な掘串をもって、この岡に菜を摘んでおられる娘よ。家と名前を申せ。この大和の国は、すべてこのわれが治めているのだ。全体的にわれが支配しているのだ。まずはわれこそ、家も名も教えてやろう。
あめつち 天地 初めて発けし時、高天の原に成れる神の名は、天之御中主神。 ーー『古事記』 訳:天と地とが初めて分かれて開器の時に、高天原に現れ出でた神の名は、天之御中主神である。